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closetの引き出し -9段目-

こんにちは、荻野です。
年があけて、干支の「ひつじ」をモチーフにした絵画の話を書かせていただこうと思っていたら、早や四月。ひつじの話は次のチャンスに回して(って、12年後?!)、最近観た展覧会の話から始めたいと思います。
その展覧会とは、渋谷のBunkamuraミュージアムで開催中の「ボッティチェリとルネサンス フィレンチェの富と美」展です。最近観たといっても、これも始まってから1ヶ月あまりが過ぎようとしていますが、3月21日~6月28日が会期ですので、まだ2ヶ月会期が残っています。
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ボッティチェリの名前か、彼の描いた有名な《ヴィーナスの誕生》や《春(プリマヴェーラ)》なら、美術に興味がない人でも何となく知っているかと思います。彼が生まれたのは1445年、イタリア花の都フィレンツェ。あのレオナルド・ダ・ヴィンチよりも7歳年上です。15世紀後半というと、日本では1467年に応仁の乱が起こっていますので、室町時代から戦国時代にかけての時期です。その時代のイタリアの絵画(間違いなく国宝級)が渋谷に集まっているなんて、なかなか貴重な機会だと思います。
なんといっても、展覧会ポスターにもなっている、《受胎告知》という作品は243x555cmという巨大なフレスコ画で、圧巻です。これは、ボッティチェリが1481年にサンタ・マリア・デッラ・スカラ施療院付属聖堂というところに描いたものです。

ところで、展覧会で見られるボッティチェリの作品の中に「テンペラ、油彩・キャンヴァス」という記載がある作品が何点かありました。例えば、《ヴィーナスの誕生》のヴィーナスだけが描かれた作品など。テンペラと油彩を見分けようと、展覧会会場で目を皿のようにして作品を凝視しても、分からず(あたりまえか)。気になったので、いろいろ調べてみたのですが、ボッティチェリが具体的に油彩をどう使ったのかということについて書かれた参考文献を見つけることができませんでした。ただ、ロナルド・ライトボーンというボッティチェリの研究者が書いた書籍に、1470年頃に描かれた《聖母子と天使「聖体の聖母」または「キージ家の聖母」》について「板 テンペラ、油彩(おそらく陰影部分)」という記載を見つけました。ボッティチェリの作品の大部分は、フレスコ画かテンペラ画なのですが、陰影部分など部分的に油彩を取り入れていたようです。ボッティチェリの豊かな色彩感覚を見ると、テンペラとか油彩というメディアの区別よりも、自分の表現したい色彩のために合った画材を選択していたような気がします。
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・サンドロ・ボッティチェリ(工房)《ヴィーナス》 部分、1482 年頃、テンペラ、油彩・キャンヴァス、174×77 cm、トリノ、サバウダ美術館 
・ボッティチェリ「聖母子と天使」(聖餐の聖母)、1470年頃、テンペラ、油彩・キャンヴァス、85×64.5cm、ボストン、 イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

とはいえ、彼の生きた時代が、現在も広く使われている油彩技法の黎明期に当たることは非常に興味深いと思います。
もともと、油彩技法は15世紀の前半にネーデルランド(現在のベルギー・オランダ)で発祥したといわれています。ファン・エイク兄弟(弟のヤン・ファン・エイクが特に有名)が油彩技法で描いたヘントの祭壇画《神秘の仔羊の礼拝》(1432完成)は、当時から人々の注目を集めていたようです。既に祭壇画が完成する前の1420年頃に、出版されたLiber de viris illustribusという本にはファン・エイクの色彩の素晴らしさへの言及が見られます。また、16世紀に画家・建築家として活躍し著名な美術史家としても知られるヴァザーリが伝えているところによれば、油彩を使い始めた画家たちの中には、せっかちで下の層を乾かすために十分な時間をかけずに失敗した者や、新しいメディアによってファン・エイク兄弟のような栄光を得たいという野望を持ち、塗料を調合したりした者がいたそうです。

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・フーベルト・ファン・エイク、ヤン・ファン・エイク  ヘントの祭壇画または、『神秘の子羊』1432年 板に油彩 シント・バーフ大聖堂(ヘント)

北方で生まれた油彩技法はやがてイタリアに伝わります。ジョヴァンニ・ベルリーニは1474年、イタリア北部の都市ヴェネツィアで、イエルク・フッガーという若い銀行家の肖像画を油彩で描いています。
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.ジョヴァンニ・ベルリーニ イエルグ・フッガーの肖像、26x20cm ノートンサイモン美術館

ベルリーニに師事したのが、ティツィアーノ・ヴェツェッリオで、ベルリーニは1516年に90歳くらいでなくなるのですが、彼の未完成の風景画などはティツィアーノによって完成されたそうです。当時、ティツィアーノは20代!若い才能が、新しい技法をモノにしていった感じがします(完全な妄想ですけど)。

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・ジョヴァンニ・ベリーニ、(ティツィアーノが加筆)『神々の祝祭』 1514年-1529年, ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ところでこの『神々の祝祭』という作品は、フェラーラ公爵アルフォンソ・デステの邸宅の書斎を飾るために計画された神話画のひとつでした。この計画に最初に携わったのが、ラファエロ・サンティ。私の中では勝手にルネサンスのイケメン画家という位置付けなのですが(!)、聖母子像で有名な巨匠です(ラファエロは37歳という若さで亡くなったため、アルフォンソ・デステの書斎の絵画は主にティツィアーノによって描かれることとなりました)。ラファエロは1508年以降、主にローマで活動し、またヴァチカン宮殿にフレスコ画の壁画を残しています。また、同じくヴァチカン宮殿では、1512年にミケランジェロが、有名なシスティーナ礼拝堂の天井画を完成しています(さらに、システィーナ礼拝堂の壁画には、冒頭に出てきたボッティチェリも参加しています)。
これらの作品は建物に付随したフレスコ画であり、その場に行かない限りは見ることができませんでした。しかし、ティツィアーノの油彩画は、それらがカンバスに描かれていたために、ヨーロッパ中に持ち運ばれることになりました。それらは、元の持ち主から他のコレクターや愛好家たちに譲られたり売却されたりするようになりました。それはやがて絵画が売買や競売の対象となる始まりでもあったと、述べている本もありました。
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・左:ラファエロ・サンティ「自画像」1504-06/フィレンツェ・ウフィツィ美術館
・右:ミケランジェロ アダムの創造、 1511年頃、 システィナ礼拝堂 ヴァチカン

今では普通に目にする「カンバスに油彩」のメディア表記ですが、15~16世紀のヨーロッパで試行錯誤の末、絵画技法の主流のひとつとなり、それが画商という職業の誕生にも深く関わっているのかもしれないと思うと感慨深いような気がします。

最後に、どうでもいいですけど、ちゃんとひつじが出てくるお話になりました。めでたしめでたし。


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('15 04/25)