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closetの引き出し -10段目-

 こんにちは、スタッフの荻野です。

  先日知人がフランクフルトに行き、お土産にシュテーデル美術館で左下のような絵葉書を買ってきてくれました。本人はまったく美術に興味がないのですが、私がとにかく「古いキリスト教美術」が好きだという認識があるみたいで、フェルメールの地理学者(左から2番目)の絵葉書ではなく、こちらを選んでくれました。有難いけど、複雑な心境です。

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  しかし、左上の作品、26.3 × 33.4 cmの小品らしいですが、見れば見るほど魅力的で愛らしい作品です。"Paradiesgärtlein"『楽園の小庭』という名前で呼ばれている作品で、1410-20年頃に作られた板絵です。ドイツで15世紀初頭に活動していた「ライン川上流地方の画家」と呼ばれる画家の手によるものと考えられています。「ライン川上流地方の画家」なんて、名前でも何でもないですが、中世美術では作者の名前がわからないことは珍しくありません。画家について詳しいことはわかっていないようですが、恐らくストラスブール辺りで活動していたそうです(ストラスブールについての記事はこちらから)。

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ライン川上流の画家による『楽園の小庭』、26.3x33.4cm、1410-20年頃、樫の板にテンペラ等、シュテーデル美術館蔵(フランクフルト)


 さて、改めて上の作品をじっくり観ていきましょう。青い衣を着て本を読んでいるのが聖母マリアです。関連してご紹介したい次の画像は、シュテファン・ロッホナーというドイツの画家が1450年頃に描いたとされる作品『薔薇垣の聖母』です。これは、聖母が幼子イエスと共に、処女性を象徴する「閉ざされた庭」にいるという場面を描いた代表的な作品となっています。今回ご紹介している『楽園の小庭』も、同じ主題を描いたと考えられる作品です。

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シュテファン・ロッホナーによる薔薇垣の聖母 1440-42年頃、油彩・板、51×40cm、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館(ケルン)

 しかし、上の2枚の絵を比べると、マリアとイエスが沢山の聖人たちに囲まれている点は共通していますが、マリアとイエスの扱いが異なっており、『薔薇垣の聖母』では聖母子が中心に大きく描かれているのに対して、『楽園の小庭』ではそれぞれの人物が画面に均等に配置されています。また、『楽園の小庭』では観者の視覚を楽しませてくれる色とりどりの花が印象的です。全種類を自分の目で確認した訳ではないですが、『楽園の小庭』には次のような種類の花々が描かれているそうです。

オダマキ、ベロニカ、いちご、アルケミラ、ヒナギク、ニオイアラセイトウ、ビンカ、チェリー、クローバー、ユリ、オオマツユキソウ、スズラン、ウスベニアオイ、フランスギク、カーネーション、シャクヤク、バラ、アイリス、カラシナ、ヒメオドリコソウ、スミレ、オオバコ、シオン、オトギリソウ、アラセイトウ・・・

 このうち、例えばオダマキは、貴婦人と一角獣のタピスリーにも登場する植物で、キリスト教では聖霊の象徴としての意味があると考えられていますが、そもそも中世ヨーロッパの人々に馴染み深い植物であったようです。この作品は、美術史的には、ルネサンスより前のゴシックの時代に位置付けられますが、その中でも後期にあたる、14世紀後半から西欧各地の宮廷を中心に展開された「国際ゴシック」の流れを汲んでいます。植物や鳥、動物などの自然が観察に基づいて細かく描かれるようになったのが国際ゴシック様式の特徴の一つです。画家は、実際に存在する自然を写し取って、それらを画面上で再構成してマリアの庭を作り上げたのです(ちなみに、タピスリーに触れた前回ブログがこちらです)。


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貴婦人と一角獣のタピスリーのうち『触覚』のオダマキ、作品全体のサイズ:高さ369-373cm、幅352-358cm、羊毛・絹、1500年頃、フランス国立クリュニー中世美術館蔵(パリ)

 また、『楽園の小庭』には6人の聖人が登場しています。
 さくらんぼをとっているのが聖女ドロテア(カエサリアのドロテア)、井戸から水を汲んでいるのが聖女バルバラ、イエスとプサルタリーという弦楽器で遊んでいるのが聖女チェチリア(セシリア、カエキリア)です。セシリアは音楽の守護聖人なので楽器を持っているのですが、頭に植物の冠をつけているように見える表現が、面白いと思います。
 女性たちの右側でいかにも偉そうに(?)頬杖をついている翼をつけた人物が大天使ミカエルで、背中を見せて座っているのが聖ゲオルギウスです。聖ゲオルギウスはドラゴン退治の伝説で有名なので、前方にひっくり返った可愛らしいドラゴンが見えます。木に抱きついているのは、聖オズワルドというノーサンブリア(7世紀のアングロサクソンの国のひとつ)の王様という説があるのですが、薔薇垣の聖母の主題の中に描かれる作例は他に見つけることができず、断定できるのか疑問が残ります。


 このように、それぞれの聖人の素性を調べるのも絵を楽しむひとつの手段ですが、聖ドロテアの足元の籠や聖女チェチリアのプサルタリーなど、描き込まれた小道具を見ているだけでも、当時のヨーロッパの人々の暮らしを想像することができて面白いです。例えば、聖女ドロテアの籠は、足がついていてお洒落な形をしていますが、高い木の実を収穫するのに腰が痛くならないような実用性も兼ねているのかな・・・といった具合に。


 ところで、『楽園の小庭』に関連して最後にご紹介する作品は、『楽園の小庭』とほぼ同じ頃にイタリアで描かれたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品です。足元の花々には、『楽園の小庭』と共通する華麗さがありますが、ふっくら色白でいかにもおっとりしていそうな前者のマリアに比べると、ファブリアーノのマリアは意志の強そうなきりっとした女性です(ファブリアーノの描いたマリアがすべてこんな表情だというわけではありません)。
 そして、その左側に厳粛な表情で立っているのが、聖ニコラウス。聖ニコラウスは、聖人に馴染みのない私たち日本人にも、関わりの深い聖人です。ヒントは聖ニコラウスの着ている赤いマント。12月に大活躍するあの人です。

 私はキリスト教を信仰しているわけではありませんが、ひとつの文化として図像を紐解いていくと、時間も場所も隔てた人たちの自然に向ける眼差しや豊かな生活の営みが伝わってきて、興味が尽きることはありません。


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、聖母子と聖ニコラウス、聖カタリナ、1405年頃、テンペラ・板、131×113cm、ベルリン国立美術館蔵


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('15 12/02)